FOCUS ON ARCHITECTS

土地の特徴、歴史を読み取り
自由な発想で居心地よい建築をつくる
東 利恵さん(東 環境・建築研究所)

父である建築家・東孝光さんの事務所を1986年に受け継いでから38年。これまで住宅や商業施設、そして宿泊施設やリゾート施設の設計を国内外で数多く手がけている東利恵さん。2024年から日本女子大学に新設された建築デザイン学部の特別招聘教授/特任教授となり、ますます多忙ななか、建築についてのお話をうかがいました。

東 利恵さん(東 環境・建築研究所)

——お父様の影響もあると思いますが、どのようにして建築の道に進むことになったのでしょう。

小学生になるときに大阪から東京に引っ越して、父が設計した「塔の家」で暮らすことになりました。見学に来られるお客様と父が建築のことを楽しそうに話しているのを聞いたり、休みの日に父と建築を見に行ったりするのも好きだったので、建築はいい仕事だなと思っていました。

日本女子大学附属高校時代は演劇に熱中しましたが、大学は住居学科へ。その後東大大学院へ進学し、西洋建築史の研究室でしたが、設計をやりたい同級生と建築見学や読書会などをしていました。その後コーネル大学に留学して建築を専攻しました。そこでは、仲間と競争するのではなくディスカッションすること、知識を増やすより考えるということを教わりました。アメリカへ留学して得たさまざまな経験から、設計を本気でやる決心を固めました。

——帰国後すぐ事務所の代表になります。

国立大の教授になった父から事務所の所長を引き継いでほしいと言われ、日本に戻り事務所の所長兼スタッフになりました。他のスタッフと同じように担当をもちますが、父からは分厚い仕様書を渡されるだけで、とにかくやりながら覚えていきました。住宅から始まって、ビル、学校などさまざまな建築の設計を経験しました。

その後、星野リゾートの仕事が始まり、「ブレストンコート」「村民食堂」「トンボの湯」、「星のや軽井沢」と続いていきます。代表の星野佳路さんは、宿泊施設としてのコンセプトは大きく持っておられますが、デザインはこちらに任せるというスタンスです。ランドスケープのオンサイトの長谷川浩己さんが入り、3社でいろいろなことを話し合いました。

星野さんからは西洋に媚びないでほしい、日本を意識してほしいと言われました。3人はほぼ同時期にアメリカに行っていて、外から見た日本を意識するようになっていました。伝統的な日本建築にしたいということではなく、日本の文化とは何かということを常に考えながらみんなでつくり上げています。星のやが大事にしているのは、ハードとソフトが同じコンセプトで向かうこと。同じタイプの宿泊施設を繰り返しつくるのではなく、土地ごとの特徴や性格、歴史などを読み取って形にしています。

——これまでの作品をもとに設計の考えや進め方について教えてください。

「シーパルピア女川」 東日本大震災で大きな被害を受けた 女川 おながわ は、防潮堤は高くせず海が見えるところは働く場所に、住宅は高台に移転、というマスタープランが早い段階で決まりました。被災した人たちは5年経つと避難所や仮設店舗から出なければならず、町としても働く場がないと、さらに人口が流出してしまうので受け皿が必要でした。そこで町のシンボルとなる商業施設「シーパルピア女川」が駅前に建てられることになりました。

設計から竣工までが約14ヵ月、メンテナンスも考え、木造平屋で切妻屋根にすることを決めました。屋根の傾斜や軒の高さは、ヒューマンスケールを意識して設計しています。駅から海へ延びる15m幅のプロムナードの両サイドに大小さまざまな切妻屋根の商業施設群をつくり、その間には中庭を入れ込みました。人が過ごせる場所をつくることで、外に居場所ができ、人が集まる空間になってほしいという思いがありました。

シーパルピア女川(2015)

シーパルピア女川(2015)

Photo:Nacása&Partners Inc.

「星のや 東京」 東京に日本旅館をつくることがテーマでした。外観は、麻の葉をくずした江戸小紋のスクリーンで外壁を覆っています。江戸時代の着物の裏を華やかにする見えないオシャレと同じように、オフィスビルが林立する中でまず黒い建物としてひっそりと建ち、近づくと外壁の細かなディテールからオフィスではないことがわかるようにしました。また、周囲のオフィスビルで働く人と、宿泊しているお客さまが見合ってしまうとホテルにとってはマイナスです。室内には障子を入れてさらにレイヤーをつくり、客室と周囲のオフィスとが直接見合わないようにしています。

星のや 東京(2016)

星のや 東京(2016)

Photo:Nacása&Partners Inc.

「OMO7」 都心に来た観光客に特化して、過ごす場所をつくろうというのがOMOのテーマです。大阪の新今宮駅前に建つ「OMO7」は、大阪の楽しさと、ワイワイガヤガヤする観光客が滞在中にテンションが下がらないことを大事にしています。

客室にはベッドやソファだけでなく、心地良く過ごせる居場所をつくりました。宿泊するのは家族だけではなく、友人同士、仕事仲間などもいて、滞在中の少しの時間でも自分だけの時間や空間の距離感なども気になる人もいるでしょう。そのようなことにも対応できるようにいろいろなタイプをつくりました。

OMO7 大阪(2021)

OMO7 大阪(2021)

Photo:Nacása&Partners Inc.

——作品でも採用されている金属屋根についての考えをお聞かせください。

平葺きの屋根をつくることが多く、住宅だと1枚もので葺いていけるので、金属屋根は使いやすい素材です。軒先を細くシャープにするデザインもありますが、私は屋根は屋根なりの厚みがあっていいと思っています。その両方に対応できるのが板金の技術でしょう。

海外では板金の技術がないので日本のように屋根を葺ける人がいません。日本の製品は表面処理をしているので錆にくく、強度もしっかりしています。また、屋根にしても内装にしても、日本人のディテールへのこだわりが独自のすばらしい商品を生んでいます。でも、海外ではなかなか見つけることができないので、日本の中だけで終わっているのが残念に思います。そういった日本のこだわりの技術がもっと海外にも進出してほしいですね。

——今年から母校で教えることになりました。学生に何を伝えたいですか。

学生たちは将来、思いもしない仕事に関わることもあるでしょう。私自身がこれまで日本や海外で経験したことを伝えたいです。今の学生は高校時代がコロナ禍で、海外への関心が減っています。日本にいるだけでは独自の世界に入り込んでしまうので、冷静に見る目を養うためにも海外に行ってほしいですね。また、これから職人が減少して機械化が進んでいくと、建築のつくり方も変わっていくと思います。そういうことに対応できる柔軟さも身に付けてほしいです。

——今後はどのようにお考えですか。

これからも自由な発想をもって提案していきたいと思います。その結果、案外思わぬところで次につながったりします。だからこそ、いただいた仕事をこつこつ誠実にやっていくだけですね。

——ありがとうございました。

「星のや 東京」
建築設計:三菱地所設計+NTTファシリティーズ
旅館計画・内装設計・外装デザイン協力:東 環境・建築研究所

「OMO7大阪」
建築設計監理:日本設計
内装設計:東 環境・建築研究所

東 利恵(あずま・りえ)

1959年 大阪府出身。1982年 日本女子大学家政学部住居学科卒業。1984年 東京大学大学院工学系研究科建築学専攻修士課程修了。1986年 米国コーネル大学建築学科大学院修了後、東 環境・建築研究所の代表取締役を務める。2024年 日本女子大学建築デザイン学部特別招聘教授/特任教授