FOCUS ON ARCHITECTS

豊かな時間を過ごせる
かけがえのない空間をつくりたい
山﨑健太郎さん(山﨑健太郎デザインワークショップ)

視覚障害者施設、ホスピス、老人デイサービスなどの難しいテーマに向き合い、ときには社会通念に疑問をもつことから空間を考え、さまざまなチャレンジを続ける山﨑さん。「52間の縁側」では、グッドデザイン大賞、JIA日本建築大賞、日本建築学会賞を受賞されました。建築に対しての考えや大切にしていることをうかがいました。

山﨑健太郎さん(山﨑健太郎デザインワークショップ)

——はじめに、建築を目指すようになったきっかけを教えてください。

数学や絵が好きだったことから大学は建築学科に進みました。自分の手を動かしながら課題を考えるのが面白く、出会う人からも影響を受けました。大学院1年のときに1ヵ月アーバンデザインのプログラムでカリフォルニア大学バークレー校に行きイタリア、デンマーク、アメリカの学生たちと議論し、現地の市民と一緒にフィールドワークをして1つの提案にまとめていく経験をしました。これまでとは違い、みんなにとっていいものをつくるという創造的な体験をしたことで、本格的に建築を仕事にしようと思いました。

卒業後は多くの専門家が集まるプロジェクトに関わりたいと考え、組織事務所に入りました。さまざまなプロジェクトを経験して6年経った頃、違うことにチャレンジしてみたくなりました。その時期に両親の住宅の設計を任されていたので、それに集中したいという思いもあり、事務所を辞めて独立しました。

——医療や福祉関係の仕事はどのようにして依頼が来るのでしょうか。

僕への設計依頼は、「おかしいと思うことがあるが、どうしたらいいだろう」という問いかけから始まることがあります。「はくすい保育園」は、傾斜地に階段状の保育室を設計しました。社会の大きな流れは安心安全なので、管理を優先して考えるという風潮がありますが、一方で、子どもには伸び伸びと育ってほしいという親もいます。僕はこちら側の親の思いを代弁したい。工夫すれば安全対策はできると思います。実際に利用する子どもだったらこんな環境を求めるのではないかということを理事長に投げかけると、快く賛同してくださいました。

この保育園に関わらせてもらったことは、その後の視覚障害者施設やホスピスの設計につながっています。例えばホスピスでは末期ガンの人の気持ちや背景を1つずつ拾い取ることは難しいけれど、終の住処としてどのようなものがふさわしいと思うか、という問いかけから始まります。それは、利用者が出せないリクエストとは何か問いかけることが僕に求められているのだと思います。

はくすい保育園(2014)

はくすい保育園(2014)

Photo:黒住直臣

新富士のホスピス(2016)

新富士のホスピス(2016)

Photo:黒住直臣

——そのホスピスは、どのような考えで設計されましたか。

「新富士のホスピス」は、当初3階建ての病院の3階部分にホスピスが計画されていて、理事長先生から「この建築案をどう思うか」と相談いただいたところから、関わらせていただくことになりました。

富士山が見えるから、末期ガンの人は3階の部屋がいいだろうと決めつけられたような案でした。敷地には何十年も根づいている雑木のきれいな庭があったので、ホスピスは地面に近い方が圧倒的にいいと思い、そこに部屋があるべきだと提案しました。その土地の特徴を活かした建築をつくるのは、昔の建築家が当たり前のようにやってきたことで、それに追随するかたちで、雑木の中に平屋のホスピス棟を建て、当初の敷地には小さくした3階建ての医療棟をつくる案に組み替えさせていただきました。ホスピス棟は病室の外の空間も重要なので、なるべく既存の樹木を残しながらゆったり配置して、要求されていた20病床を回廊でつないでいくプランニングにしました。

こうした方が正しいということは確信をもって言えないし、誰も要求してくれません。でも嫌だと思うことははっきり分かります。一般的な病院は中廊下があり、両側に病室が張り付いていて、その原形は19世紀につくられた監獄なんです。お見舞いに来る人は、さまざまな思いがあるので途中で立ち止まりたくなるそうです。でも病院の中廊下は真っ直ぐな上に、いろいろな人が行き来しているので立ち止まらせてくれません。

日常の空間や体験が、固定した概念をつくってしまいます。空間は生活の基盤であり、骨格になるので、病院はこういう場所だと頭の中に認知されてしまい、病院は行きたくない場所になる。例えば、ホスピスに入院しているお父さんを見舞う娘さんがいて、ずっと一緒に同じ病室にいるのもお互い苦しいです。でも遠くへ離れるのは不安だから、ちょっと気配を感じる廊下で待てたり寛いだりできる場所があることで、お見舞いに行くことが日常になり少し気持ちが楽になるのではと考えました。そこで、中廊下の形式はやめて一息つけるような佇める場所をつくりました。家族や友人が来た時にいつもと変わらない時間を過ごせるように意識しました。ホスピスは病院というより、日常を過ごす場所、住まいだという概念に変わっていくことを強く望みました。

人生の最期とはどういうことなのか、自分の実感として考えられるようにするためには空間が必要で、その空間の大きさも慎重に考えます。それは僕たち建築家がやらなければいけないことの1つだと思います。

——「52間の縁側」は幅が5m、長さが約80mという独特の形状です。

老人デイサービスの「52間の縁側」は、敷地がL字で長手方向に沿って斜面地、短手方向が平坦です。斜面地は使い勝手が悪いので平坦な敷地に計画するのが普通でしょう。福祉だけで完結するなら求心的な正方形のような形が使いやすいですが、横長にしてどこからでもいろいろな人が関わりやすい形状にする方が大事ではないか、それなら細長い斜面地を使うことができると考えました。

僕は設計の前に、クライアントと建築のイメージをしっかり合わせるようにしています。クライアントの石井さんに形態や計画の話をする中で、「縁側」という考えを提案をすると、自分たちの介護も利用者と横並びで同じ目線で接することを大切にしている、と縁側の空間概念を自分の福祉哲学に置き換え、すぐに理解してくださいました。縁側は庭と住居との間ということもありますが、オープンなつくりです。入り口はつくらず、どこからでも入れることは、開かれた福祉を目指している彼の考えにもフィットしました。言葉にはしませんが、求められていることも伝わってきました。ここにいる人がどれだけ豊かな時間を過ごせるかが大切なんです。

「建築」ということで考えると、分かりやすいシンボルのようなものが必要だと思いました。できれば多くの人から大切にしたいと思われる建築であってほしい。

日本の福祉制度はよくできていて介護が必要な6、7割の人々は介護の制度で救われていますが、制度に当てはまらない人もいます。この場所がそういう人達の救いになれば多くの人が賛同し、この場所に自分たちが関わりたい、協力したいと思ってもらえるのではないでしょうか。そのためには、そういった象徴にふさわしい姿形で、希望や願いをこめたシンボルが必要だと思うのです。

52 間の縁側(2022)

52間の縁側(2022)

Photo:黒住直臣

——自由が丘にアウターモールの商業施設が完成し、人気になっています。

イオンの新業態となる約8,000㎡の商業施設「JIYUGAOKA de aone」の企画が進められていたのですが、これまでと同様に、「この設計案をどう思うか」というお話をいただきました。

当初の案は、箱型のインナーモールで、収益性がよく考えられた形状でした。しかし、商業地域と住居地域の間にある敷地に一塊の大きな建物が建つと、インパクトが強すぎて、自由が丘の街の印象が変わってしまうと思いました。人々が自由が丘の街に抱いているイメージを変えてしまう可能性があるため、インナーモールには賛成できませんでした。そこで今の街の印象をできるだけ変えたくないという思いでアウターモールを提案しました。新しい提案をするのは覚悟もいるし、実現するためには越えなければならない壁が、いくつもありました。

アウターモールにすることで、複雑な法規制が増えます。緑地面積や避難経路の確保などはその1つです。植栽や求められる緑地帯については、建築の技術と合わせて、環境に適した木々、草花の配置を計画しました。避難経路については、建物内に設けることが多い避難階段をできる限り外に出しました。そうすることで、散歩しながら回遊できる空間になります。店に入らなくても屋上まで行けるようにして、街とつながることも意識しました。また、収益性についてもクリアする必要がありましたが、すべてを路面店にすることやイベントができるスペースの活用などで、インナーモールの場合と遜色ない収益が見込める提案ができました。

建物も運営も、人とセットで考えていくときに、見た人がいいねと感じ、佇める場所、人に対して優しい気持ちになれる場所が必要です。もちろん建築だけではできないですが、人と建物の関係が豊かに語れるような設計をしていかなければいけないと考えています。

JIYUGAOKA de aone(2023)

JIYUGAOKA de aone(2023)

Photo:黒住直臣

——屋根などの素材についてはどのように考えていますか。

木造の設計をする場合、切妻や片流れの屋根では金属を採用することが多いです。「52間の縁側」も波板を使っています。工業製品ですが、景観になじんでいて情緒を感じるものを、デザインや性能も理解したうえで積極的に使っています。

屋根だけではなく、素材については自 由に使っている方だと思います。事務所にも土、金属、木、石などの見本を置いています。それと職人の手がかかったものを使いたいというのはあります。

「新富士のホスピス」では、外壁も室内も左官の掻き落としを採用しています。掻き落としの方法が良いということよりも、左官職人が仕事を施すということが大事だと思っています。ホスピスではどういう仕上げがふさわしいかと考えた時に、この建築で過ごす患者さんの背景にふさわしいのは、人の手がかかったものだと思うのです。素材の選定も含め、プロセスにも意味があることとして、そのように決めていくのが大切だと思っています。

——最後に、今後の展望について教えてください。

これまでやってきたことを、今後もつなげていくということでしょうか。

ホスピスでも商業施設でもそうだったように、誰かがチャレンジして、社会に還元していけるようなことを考えることが必要だと思います。いろんなところに課題や可能性はあると思います。

建築には姿形の問題もありますが、建築家の作品だから残したい、という個人的なことよりも、自分たちの暮らしにとって、なくてはならないものだから残したい、と人々が働きかけて守っていくような建築であってほしいです。建築が文化になるためには生活と建築が切り離せないものということも必要な要素です。問いかけ続けてできた建築の1つ1つが、自分たちにとってかけがえのない場所、なくなっては困る暮らしの一部のような場所になってもらえたら、こんな嬉しいことはないですね。

——ありがとうございました。

山﨑健太郎(やまざき・けんたろう)

1976年 千葉県生まれ。2002年 工学院大学大学院工学研究科建築学専攻修士課程修了。2002年 入江三宅設計事務所。2008年 山﨑健太郎デザインワークショップ設立。2020年 グッドデザイン賞 審査委員。2024年 工学院大学 建築学部 建築デザイン学科 教授