整合することから形が生まれる
栃澤麻利さん(写真右)(SALHAUS)
山本理顕設計工場で切磋琢磨した同世代の3人が設立したSALHAUS。設立から15年、これまでさまざまな建築を実現し、なかでも公共建築を数多く手がけています。3人でどのような建築を目指し、つくっていくのか、事例をもとにおうかがいしました。
山本理顕設計工場で切磋琢磨した同世代の3人が設立したSALHAUS。設立から15年、これまでさまざまな建築を実現し、なかでも公共建築を数多く手がけています。3人でどのような建築を目指し、つくっていくのか、事例をもとにおうかがいしました。
——はじめに皆さんが建築を目指すようになったきっかけを教えて下さい。
父が設計の仕事をしていたことは大きかったと思います。私は理数系よりも文化系の方が好きでしたが、建築は工学だけでなく、人と関わりながらやれそうな仕事だなと思い、建築に進みました。
音響やエンジニアリングに興味があったので大学は建築学科へ。進学してみるとそれよりも設計課題やデザインが面白くなり建築を選びました。
中学生の頃から理数系が得意だったこともありますが、つくったものが形になって残る建築は素敵だと思い、設計を志すようになりました。
——大学卒業後、山本理顕設計工場では7〜9年同じ時期に働いていました。
私たちが入った頃は、さまざまな分野の関係者が関わるような規模が大きいプロジェクトがいくつも動いていました。
当時山本さんは「建築が変われば社会や制度が変わる」とおっしゃっていて、私も世の中が変わるきっかけをつくることができたらと思い事務所に入りました。中国のプロジェクトでは2年間北京に常駐し、海外で仕事と生活ができたのは貴重な経験となりました。
中国でのプロジェクトは山本さんが先駆けですし、プロポーザルもいろいろな形式のものなど、とにかく新しいことにチャレンジする事務所だったので、自分が担当していなくてもとても刺激的でした。
——SALHAUSを立ち上げてからどのような仕事の進め方をしていますか。
2006年に山本さんの事務所を辞めて住宅設計などをしていました。大きなプロジェクトにも関わりたいと思っていたときに栃澤も安原も辞めたので一緒に仕事をするようになりました。最初は個人事業主が集まった感じでしたが、2008年にSALHAUSを立ち上げました。
最初にプロポーザルで選定いただけたのが反り屋根の「群馬県農業技術センター(以下、技術センター)」です。3人でブレインストーミングを重ね、毎週現場にも通っていました。
3人いるとここぞというときには瞬間的なパワーが出ます。それがなかったら取れなかったと思います。
山本さんの事務所ではプロポーザルをたくさんやって、負けたことも山のようにありました。すごく鍛えられたので、その経験も活きていると思います。
また、山本さんのもとで設計した建物は全部フラットルーフだったのですが、独立して木造住宅に関わり、はじめて屋根の形で空間を考えるようになりました。
屋根のある住宅を、さらに大きな建築に展開することは新鮮で面白いです。
大屋根の下に生まれる空間のプログラムと、それを木材という弱い材料で架構するアイデアをセットで提案ことが刺激的でした。構造のエンジニアとは3人揃って打ち合わせします。議論するうちにさまざまなアイデアが出て、空間と構造が整合していく。そのプロセスはとても重要です。
構造の新しいチャレンジと形が結びついていくのは、RCや鉄骨よりも木造の方が可能性があると技術センターを手がけた際に思いました。それ以降、木造では勾配屋根をつくっていますが、まだ可能性があると感じています。
造形的というより、空間のイメージとエンジニアリングが一致して形が生まれるということだと思います。
私たちは同じ事務所出身ということもあり、これでいける、と思う感覚に共通するところがあると思います。技術センターの屋根形状が決まった時が、まさにそのような瞬間でした。
群馬県農業技術センター(2013)
Photo:矢野紀行
——陸前高田市の高田東中学校は公共建築賞など多くの評価を得ています。
震災復興の建物ということもあり、社会の役に立ちたいという思いもすごくありました。ちょうど手応えを感じていた技術センターが終わる頃で、これを進化させたものを取り入れられるのではないかという考えもありました。
陸前高田は被害が大きい地域でしたが、この敷地は高台で被害が少なく、リンゴ畑が広がっていました。後方には箱根山があり、目の前には海が広がっています。地域の人が集まってほっとできるような場所をつくりたいと思いました。
技術センターでの、小さな断面の木材を組み合わせて大きな空間をつくるアイデアが高田東中学校へのヒントとなりました。陸前高田は気仙スギという良質なスギがあるので、集成材など大きな部材にすることなく屋根をつくることができると考え、斜面に屋根が寄り集まってくるイメージから始まりました。それがこの地形、学校のプログラム、人が集まることとうまくフィットしました。
実際に現地に行って見たときに、大きな屋根が海を見下ろして、山ともつながるようなシルエットが似合うと感じました。できるだけ復興を実感してもらえるように中学生を含め市民の方たちと対話をしながら進めました。
生徒たちがこの建物を大事にしていると聞きました。地元の学校で学ぶことに対してポジティブに思ってもらえているなら、設計した者として嬉しく思います。
陸前高田市立高田東中学校(2016)
Photo:吉田誠
——2023年に完成した金沢美術工芸大学の新キャンパスは街に開くことも意識されているようです。
大学でも公共的な建物であれば、周りの人にも受け入れられるものにしたいです。ただ開けばいいのではなく、どのくらい開かれるべきか議論します。
かつては公共建築に限らずあらゆる建築が閉じていたと思います。今は開かれつつあると思いますが、立地や使われ方によって開き方を丁寧にチューニングしていくことが必要になってきます。
学長からも「地域に開かれて正しく閉じる」ことを要望されました。どのような場所を地域に開き、学生たちの創作の場は音の問題も含めてどう閉じるかを考えながら全体をつくりました。
金沢美術工芸大学(2023)
Photo:吉田誠
——金属屋根のイメージや採用するときの考えなど教えて下さい。
木造の建物と金属屋根は必ずセットで使っていますね。
色も木造になじみやすいシルバーやダークグレーを使うことが多いかもしれません。
私たちにとって屋根は外観の重要な一部です。金属屋根は軽量で防水への信頼性も高い上に、さまざまな勾配や形状に柔軟に対応できるので選択の幅が広いですね。
——今後のSALHAUSについて、どのようなことを考えていますか。
地域になじむ建築をつくるのも大事な仕事ですが、アトリエ事務所でもある程度の大きさの公共建築の仕事ができることを、後輩たちのためにもつないでいかないといけないと思っています。
公共建築は、今後もいかに多くの人に共感してもらえるかを大事にしながら設計していきたいと思っています。
多くの人が使う空間を設計することはすごく楽しいし、やり甲斐があります。そういう意味でも公共的な空間をどんどんやっていきたいです。そうすることで周りにもいい影響を与えることができたらいいですね。
——ありがとうございました。
安原 幹(やすはら・もとき)
1972年 大阪府生まれ、1998年 山本理顕設計工場。2008年 SALHAUS設立、共同主宰
日野雅司(ひの・まさし)
1973年 兵庫県生まれ、1998年 山本理顕設計工場、2008年 SALHAUS設立、共同主宰
栃澤麻利(とちざわ・まり)
1974年 埼玉県生まれ、1999年 山本理顕設計工場、2008年 SALHAUS設立、共同主宰