——建築家になろうと思ったきっかけを教えて下さい。
父は大工棟梁で、子どもの頃からものづくりの場が身近にありました。中学まで過ごした岡山県真庭市は本当に田舎で、建築家のことは何も知りませんでしたが、米子高専建築学科で出会った友人や先生の影響もあり、建築家の存在が具体的になりました。そして横浜国大に編入学。大学院のときに西沢大良さんの建築や“規模”という普遍的な考えに興味をもちました。事務所にアルバイトで入り、その後所員となって6年半くらい働きました。
大きな転機は、線路際に建つ「駿府教会」(2008年)を担当した29歳のときです。踏切の音などを遮断するために木造の壁をいろいろ工夫していたのに、工事が遅れて最初の礼拝に間に合わず肝心の扉がつきませんでした。僕は鍵当番として礼拝に参加したのですが、踏切や電車の音が入ってくるなかで信者の人が声をふりしぼって賛美歌を歌ったり、牧師さんの説教を集中して聞いている姿にとても感動しました。閉じた空間をつくろうとしていたのに、外から音が入ってくることによって一体感が生まれる。
そういう環境や人間と一体的に存在する建築はいいなと思ったのです。牧師さんの「教会は建物ではない、自分たちの内側にあるものだ」という言葉も心に響きました。
——設計をはじめるときに意識することや考えることは?
駿府教会の出来事をきっかけに、人や環境も含めた建築を目指したいと思い、30歳で独立しました。だから僕の建築は、それらの関係を意識しながら設計しています。
具体的にはまず、建物をどう配置するか、大きさをどうするかを考えます。お施主さんの人柄、暮らしぶりも重要で、それらを受け止めた上で、さらにどんな建物ができるか、いつも試行錯誤です。住宅では、顔が見える関係の中で設計することができるのですが、公共建築では難しい面もあります。その街の風土や歴史、そして首長さんの人柄や建物にかける想いを知ることも大切にしています。
——金属屋根を含め屋根についてどういうイメージをもっていますか?
金属屋根は、自由な形状ができて耐久性があり特性も多様ですね。標準納まりがあるにせよ、ディテールや端部の納まりは多様な要求に応えてくれます。そこに建物全体としてどう見せたいかが現れます。
三晃金属さんのHPに出ている「札幌ドーム」はとても美しく、しかも季節や時間に応じて表情が変わりますよね。建築は動きませんが、変化が起こることは金属屋根特有ですし、また屋根だけではなく壁に使うこともできる、横断的であることも特徴だと思います。
地方の公共建築など敷地に余裕があると建物も平面的に大きくなるので、それに応じて屋根の比率は増えます。都心だと建物が密集していて、軒を出すのが難しく箱形や立面的になりがちですが、建物の表情や外と中をグラデーショナルにつなぐ空間をつくるためにも屋根は重要です。また人が入りやすいアプローチをつくったり、周辺との関係や風景をつくるうえでも大きな役割を担っています。
屋根に勾配をつけると建物に方向性が出るので、僕は勾配については慎重に考えています。切妻屋根なども方向性が出ますが、それは強い意思だと思います。どこに水を流すのか、どちらに対して軒を低くし圧迫感を減らすのか。屋根の勾配は周囲に対する配慮であり、そのため、どの向きに対しても配慮できる屋根にしようと考えると、なかなか勾配をつけづらい。
これは僕にとっての大きな課題ですね。建物の東側に住んでいる人もいれば、西側に面して暮らしている人もいて、いろいろな人にとっての建物の顔があるので、なるべく裏をつくりたくない。当然バックヤードはありますが、だからといってそこを壁にはせず、いろいろなところから出入りできていろいろな顔が見えるようにしたいと思っています。
プロポーションも重要です。軒の出と壁面の高さ、道路側の幅が、人が立ったときにどう感じるかは、タテヨコの比率など数値だけでは計れない大事な感覚です。すごく広い道路であれば遠くからでも立面が分かるし、道路が狭く、周囲に小さな建物が建っていればそれに対して圧迫感のない高さになるように、プロポーションを意識します。
中と外に優劣をつけず、それらがさまざまな関係のなかで同時に決まっていくように考えています。